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琉球の大交易時代が始まる

第一尚氏王統の次にくるのが第二尚氏王統です。これは1470年に即位した尚円から始まります。尚円王誕生の背景には、尚円が活動してきた那覇を中心とする海外交易のネットワークがあります。尚円を支持する官僚などが新たな権力構造を創り上げていったといわれています。
その後王位を継承した尚真は、50年にわたって王位に君臨し、中央集権的な第二尚氏王統の国家を形成しました。

14世紀から16世紀にかけて琉球は大交易時代に入ります。これについては、まず倭寇の存在を挙げなければならないでしょう。倭寇とは、九州や瀬戸内海地方出身の海賊のことで、中国大陸や朝鮮半島沿岸を荒らしまわっていました。
この頃、中華思想により近隣諸国に入貢を呼びかけていた明は、自国人の海外渡航を禁じ、公貿易のみおこなう政策をとっていました。明は室町幕府に対して、入貢と倭寇禁止を求め、足利義満はこれに応じました。

琉球は朝貢国として明から優遇されました。東南アジア諸国で買い入れた商品を日本へ売り、日本から刀、漆器、扇などを買い入れ、それらを中国や東南アジア諸国へ売りさばき利益を得るという中継貿易で大いに栄えました。小さな島国である琉球が他に先んじて交易圏を拡大できたのは、明の庇護があり、同時に明の海禁政策があったためだといわれています。

世界に目をやると、16世紀に入り、ヨーロッパでは世界へ出向き「地理上の発見」をしていきます。ポルトガルやスペイン船がアジアに進出して来ました。中国でも海禁政策をやめ、商人たちが商業活動を始めます。また、日本の商船も東南アジアへ進出していきます。このような勢いに圧されて、琉球貿易は次第に衰えていきました。

先島・奄美の情況

宮古では1474年仲宗根豊見親が尚円王から首長を任じられました。八重山では15世紀末に台頭したオケヤアカハチが石垣島を中心に支配を強め、さらに宮古地方への進出を企てました。仲宗根豊見親はこれを首里王府に報告し、王府軍は石垣島を攻め、制圧させました(1500年)。これをオケヤアカハチの乱といいます。
与那国島は女性首長のサンアイイソバが島を治めていました。1522年首里王府は仲宗根豊見親に命じ、これを攻め、琉球王国の傘下に組み入れました。
奄美では、15世紀初頭、尚巴志による琉球王国統一の頃に、徐々にその支配下におかれるようになりました。首里王府は1466年奄美諸島を完全に支配体制化におきました。